自然と花ひらく。から焦らないで大丈夫。

2017年1月18日

感受性を開くと見える世界がまったく違います。

いつもの街並みが新しく感じる。
冬の寒さを身体中で感じる。
におい、肌の感じ、音、、、
こんなに繊細に色んなものを感じていたのかと驚くほど。

感受性を開くことで、罪悪感や義務感から自由になる。
罪悪感や義務感から自由になることが感受性を開くカギとも言える。

もともとの私は気持ちが揺れやすく、ちょっとしたことで悲しくなる。
非常にめんどくさい生き物だなと思っていたし、その根っこは変わっていない。

年末年始、自分への滋養のために行っていたイタリアでもよく泣いていた。

うれしい
たのしい
かなしい
くやしい
びっくり
感動

どの瞬間も湧き上がってくる感覚を止めないで味わっていたら、自分との繋がりがすごく深まった感じがした。

繊細さはじゃまじゃない。
かたくなさは武器じゃない。

いい子でいなくていい。
楽しい方に進んでいい。

なにかになるというよりは、くっついている色んなものがひとつずつ剥がれて、ピュアな自分になっていく感じ。

飾らず、取り繕わず、そのままで何も欠けていない。
花はその時がきたら自然と花開く。
土壌を耕し、栄養を注ぎ、伸びゆく自分と一緒にすごす。

自分を受け入れて、自分と深く繋がって、愛する自分とともに生きていく旅なのかもな、人生って。
なんて思う今日この頃です。

欠乏感から選ばない

自分には足りないものがある。
まだまだ出来ていないからという欠乏感。

欠乏感から何かを選ぶと大抵しんどい。。
埋まっても次の欠乏感がやってきます。

過去の私の場合は、自分には魅力がないから尽くさなきゃだったな。
尽くして、捧げて、相手を優先してそれでも認めてもらえないと自分のどこが悪いんだろうって。

これはつらい。。。

今なら言える。
欠けていないし埋める必要もない。
誰かのために無理に自分を曲げたり自分を犠牲にする必要はない。

貢献と犠牲は全く違うのだけれどごっちゃになってるとしんどいです。

今でもたまに出るパターンは
「自分を最後の最後の最後に後回しにしてでも人のためになにか出来ることはないだろうか。」

自分自身と向き合わないためのいい隠れ蓑になるのです。。

ここに意識的になってから無理したりつらい状況になっても人のせいにしなくなりました。

こんなにやってるのに!!!
なんで分かってくれないの!!!
と思わなくなったのですね。

「○○せねば」からの解放はたくさんのギフトをくれています。

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